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旅というものはいつも、ここではないどこかへ、そして非日常の時間へと出かけていくことだ。だからいつも新鮮な刺激に満ちているし、少しの不安やアクシデントもスパイスとなる。たとえすぐ近くでも、はるか遠くでも、日帰りでも長期でも、旅特有の楽しさはそこにある。
けれどこれから始めるのはちょっと風変わりな旅である。なにしろ「手のひら」から出かけて、「手のひら」に帰ってくる旅だから。すこし自分の手のひらを見つめてほしい。ここで思い出すのは、誰もが知っているあのストーリーだ。

暴れん坊の孫悟空をみかねたお釈迦様が、賭けを提案する。もしお前が私の手のひらから出られたら、天界の帝にさせてやろう。それを聞いた悟空は自慢の筋斗雲で、三十万キロの遥か彼方へひとっ飛び。世界の果てに立っていた五本の柱にサインまでして戻ってくる。ところがお釈迦様が見せたのは、自分の指に書かれた孫悟空のサインだった。あんなに遠くまで行ったのに、じつはお釈迦様の手のひらの内にいたのだ。

この寓話から、私たちは何を学ぶだろう。もちろん様々な可能性があるけれど、こんな新しい解釈はどうだろう?
手のひらから出発して、私たちは限りなく遠くへ行けるし、また同時にいつでも手元に戻ってくることができる。「手のひらから出発する」とは、人が手で何を作り出してきたかを知ること、その失われつつある貴重な手仕事を見つめ直すということだ。他方、「手のひらに戻ってくる」とは、それをもう一度使ってみること、その手に取り戻すことだ。
人類は有史以来、その土地と自然から恵みを得て、手で道具を作り出してきた。そして現代は機械やITまで駆使しながら、生活をより便利にしようとさらに進化を続けている。だがどんな手段であれ、私たちがものを生み出し使う原点は、いつもこの「手のひら」である。美しい工芸を作るのも、スマホを操作するのも、自分の手のひらの内なのだ。

私たちはこれから終わりのない旅に出かけよう。それは出発すると同時にここにいる不思議な旅だ。こことあそこを無限に行き来する筋斗雲に乗って、日本、そして世界各地の「手仕事」を見に行こう。そしてその土地固有の美しい遺産を、「デザインの現在形」に取り込み、分かち合おう。多くの人があらためてその価値を知り、自分の生活に楽しんで使うことで、次の世代にも新しい種をまくことができると信じて。

昔の民衆が実用のために作った道具の中に、美と真理を見出した「民藝(みんげい)運動」。その哲学者 柳宗悦(やなぎむねよし)は、『民藝四十年』という晩年の著書で、こんな驚くべきことを言っている。

民藝という言葉は、仮に設けた言葉に過ぎない。そんな言葉の魔力に囚われたら自由を失う。民藝という概念などよりも、自由なものの見方の方がよっぽど大切だ、と。

柳自身が人生をかけて「民藝」という言葉とその運動を育ててきたはずだ。しかしそれが固定化するくらいなら、いっそ潔く捨ててもいいと言うのだ。
では今後はなんと呼べばいいのか?
「平(ひら)」がいいんじゃないか?と柳は言う。「平の美」とでも、「平のもの」とでも呼べばいいと。では「平」とはなにか?
それは何でもないもの、あたりまえのもの、平凡なもの、人が知らずに立っている大地のようなもの。しかし、無くてはならぬもの、生きる基礎となるもの、決して他ではあがなえぬもの。それが「平」である。

「この『平』より深い東洋の理念はないのである。平易、平静、平和、平穏、皆『平』の字と結ばれる」(『改めて民藝について』)

私たちが始める「手のひら」の旅も、この「平」の字と結ばれている。旅で見つけた手仕事を通して、その土地と人を愛すること。イデオロギーや先入見からはなれて、自由な見方で世界をつかむこと。ものを生み出し、使うことで、「平易」で「平穏」な生活をいとなむ。世界中で憎しみや対立が渦巻く現代に、私たちはこの旅を通して「平静」で「平和」な心を取り戻したいと強く願う。
いま私たちに本当に必要なのは、このことだ。だからこの旅に、きっと終わりはないだろう。

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