matohu matohu

COLLECTION

2020 AUTUMN & WINTER COLLECTION SEASON CONCEPT

 「藍は染まるのではなく、宿るのだ。」
それが本物の藍染を求める旅の途上で、自分の肌で実感したことだった。

これは誇張でなく、むしろ事実の描写である。化学染料のように繊維の奥に染み込むのではなく、天然藍の粒子は大きく、糸の間に宿っていると言う方が近い。それはタデアイの葉の色素、いわば命のカケラが姿を変えて宿っているのだ。そんな藍染を素肌に着ると、植物の波動が心に小さなさざ波を起こす。もちろん人によって感じ方はさまざまだろう。ただその力は、受け取る人の心を守り、清め、鎮める。その実感を抜きに藍染を語ることは虚しい。色だけで合成藍と比較するのも無意味だ。心の側面から語るなら、藍染とは視覚上の色というよりも、自然の命をまとうことなのだから。

そしてそのために奉仕しているのが、微生物による「発酵」の力だ。発酵しなければ藍は布に留まることができず流れ去ってしまう。藍師たちは発酵させる土間のことを「寝床」といい、温度を保つための藁のムシロを「布団」という。この言葉からも、人々が遠い昔から藍を命として扱ってきたことが伝わってくる。
春に種をまき、夏に刈り取ったタデアイの葉を乾燥させる。この葉に水を掛けてかき混ぜると、微生物の力で発酵してくる。やがて内部は60〜70度の高温になり、もうもうと湯気が上がる。鼻を刺し、眼にしみるほどのアンモニアが立ち込める。それを3ヶ月で20回以上、ひと冬かけてかき混ぜて作り出すのが「すくも」だ。出来上がった「すくも」は黒い土のようになる。これを液体に溶かし、もう一度発酵させて染めるのが藍染めである。そのすべては「発酵」という自然が生み出す魔法から生まれる。

19世紀末に発明された、石炭や石油から合成する化学藍は、あっという間に藍染を絶滅寸前まで追い詰めた。藍だけでなく、薬も肥料も塗料も、器も布も洗剤もすべて化学物質から作られ、ポリエステルやプラスチックが生活全体をおおっていった。その結果、大量生産・消費という経済システムが世界を支配し、環境汚染と廃棄物の山を日々生み出すことになった。
21世紀、私たちの意識は変わりつつある。生産、消費、廃棄のシステムを見直し、無駄を出さず、再利用し、自然と調和する社会のあり方を人類はようやく探し始めた。それはまだ始まったばかりの挑戦である。しかし同時に大切なヒントはすぐそばにある。
サスティナブル(持続可能)なものは、伝統的な手仕事の中にこそある。藍染やこぎん刺しのように何百年も続いてきたものは、歴史が実証する本当の意味でのサスティナブルだ。毎年繰り返し畑で収穫できる自然の恵み、何世代も伝承されてきた知恵と技術、そして資源の再利用と自然への循環。

かつてそれは私たちの過去だった。同時に私たちが生きる未来そのものだろう。手のひらの旅が、その道行きを教えてくれる。

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