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COLLECTION

2022 AUTUMN & WINTER COLLECTION SEASON CONCEPT

 かつて関東平野一円に拡がる大きな國があった。現在の東京23区、埼玉県ほぼ全域、神奈川県の一部をふくむ「武蔵(むさし)の國」である。その北西の突き当たりが、秩父だ。
 東京池袋から電車で約1時間半。駅に着くと、街を見下ろすように武甲山(ぶこうさん)がそびえている。石灰岩の採掘で大きく削られてはいるが、朝もやのシルエットから霊山の気韻が立ち昇る。

 秩父は奈良時代から養蚕が始まり、大正から昭和にかけては「銘仙(めいせん)」の一大産地となった。「銘仙」とは絣(かすり)の一種で、タテ糸にプリントし、仮織りのヨコ糸をほぐしながら織っていくので「ほぐし織」とも呼ばれる。最盛期は800軒以上の織屋さんを数え、人口の七割が繊維関係だったという。しかし現在銘仙を織っている人は、片手で数えられるくらいだという。きもの文化と共に、大切な工藝が失われつつある。

 私たちが訪ねた新啓(あらけい)織物の新井教央さんは、「銘仙」の伝統工芸士だ。前回ご紹介した「足利銘仙」ではもともと幾何学柄が多いが、「秩父銘仙」は花や植物など自然界のモチーフが多い。また秩父ではシルクの光沢感を生かし、タテとヨコの糸色を変えて玉虫色に織る。するとドレープ(ひだ)の動きで、色が美しく変化する。
 さらに今回は新井さんの提案で、プリントしたタテ糸の半数を8cmずらして織ってみた。紅葉したドウダンツツジの絵柄が、二重露光のように透けて重なり合う。

 「シンプルなのに複雑な表現、それが秩父銘仙の魅力です。」
と新井さんは楽しそうに語る。かつて分業だった仕事を、なんとか家族だけで続けている。その原動力は、もっとおもしろいものを作りたいというピュアな探究心だ。

 ふと神棚を見ると、不思議なお札が貼ってある。狼のお札だった。新井さんに尋ねると「ええ、オオカミ信仰がいまもあるんですよ。」と教えてくれた。かつて日本では、狼は農作物を食い荒らす猪や鹿を食べてくれる益獣だった。「お犬さま」と呼ばれ、山の神様の使いとされてきた。深い森の奥から聞こえる遠吠えに、人々は神秘的な力を信じたのだろう。だが日本オオカミは百年ほど前に絶滅してしまった。
 街の背後には、秩父連山が暗い海原のように広がっている。その奥秩父の山中に、三峯神社がある。入り口には鋭い牙をむいた狼の石像が、聖域を守っている。境内は山気に満ち、心清らかにしてくれる。

 この土地には太古から続く信仰が色濃く残っている。いや、それは特定の「信仰」というより、当たり前にある暮らしの「信心」というものだろう。いたるところに山の神様の小さな祠があり、観音巡礼の三十四ヶ所の札所があり、一年中どこかで神事やお祭りが行われていて、太鼓や舞いなどの民衆芸能も盛んだ。武蔵の國の最果てに、森を敬い、山の神様や狼に手をあわす人々が今も残っている。現代の衣食住から失われてしまった祈りが、ここではまだ根を張っている。
 「祈りによって、人間は平(たいら)でいられる。それは不安定な心を支えてくれると思うんです。」と新井さんはもの静かに語る。その手ひらから生み出された新しい水は、古(いにしえ)の泉から今も湧いている。

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