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COLLECTION

2022 SPRING & SUMMER COLLECTION SEASON CONCEPT

 毎朝、窓から樹々を眺める。しばらくすると、すーっと心が落ち着いてくる。梢は風に揺れ、木の葉が無数にひらめいている。上下左右におだやかに動いて、また静かに戻る。ただそれだけの繰り返しに、なぜ心は癒されるのだろう?
 たんなる静止写真にその力はない。逆に激しい風雨にざわめく姿だと、不安になるだろう。どうやらこのかすかな「ゆらぎ」に秘密があるらしい。それぞれの葉はまったく違う動きをしているのに、全体がひとつの調和のうちにある。
 これを物理学では「1/fのゆらぎ」と言う。星のまたたき、寄せては返す波音、秋の虫の声、雨のしずく、川のせせらぎ。自然界は「ゆらぎ」に満ちている。そしてこれらは人の心を平穏にする力があることが脳科学的にもわかっている。先日、深夜TVで「焚き火だけ映す番組」を見たが、無限に変化する炎と、パチパチと木のはぜる音が、心地よい瞑想にいざなってくれた。忙しい生活で忘れている風景がそこにあった。

 テキスタイルにおいても、失われてしまった「ゆらぎ」の風景がある。それは「かすり」と呼ばれる織物だ。いま多くの人が「かすり」の服を持っていない。ほとんど作られてもいない。けれどかつて「かすり」は世界中の人々を魅了してきた。
 「かすり」とは、糸を先に染め分け、後から織り上げることで模様がかすれたようになる技法だ。それは素朴で優しい魅力をたたえている。かつてヨーロッパでは「シネ・ア・ラ・ブランシュ」とよばれ、マリーアントワネットもこよなく愛した。だが19世紀の産業革命以後は急速に衰え、ほとんど途絶えてしまった。日本でも、古くから藍染の十字や井ゲタの模様が作られてきた。だが糸をくくって染め、それを解いてから織る技法は手間がかかり、単純な柄がほとんどだった。

 明治維新後、日本の技術者がヨーロッパに染織を学びに行き、当時消えつつあった「シネ」の技法をバトンタッチのように受け継いで、さらに独自に発展させたのが「銘仙(めいせん)」だった。それまでの伝統柄ではなく、グラフィカルで色彩豊かな「かすり」模様ができるようになり、「銘仙」は大正から昭和前半にかけて大流行した。しかし戦後の洋装化と、きもの文化の衰退によって、今や「銘仙」を知る人も少なくなった。もう職人も数人しかいない。
 「銘仙」の生地を近くで見てみよう。遠くからはひとつの模様に見えるが、絵ぎわは「かすり」特有の柔らかさがにじむ。一本一本の糸が微妙にズレて、無作為にゆらいでいる。まるで春霞がかかった遠い景色のようだ。風に揺れる梢に似て、それぞれの糸が優しい声でささやきかけてくる。

 さて、「銘仙」を訪ねて旅した足利市で、もうひとつの印象深い出会いがあった。かつて川田昇という教育者が、知的なハンディキャップをもつ人たちのために作った「こころみ学園」− その園生たちの日々の仕事のために、山の急斜面を開墾した「ココ・ファーム・ワイナリー」だ。深い谷あいに、白いワイナリーがたたずんでいる。ぶどう棚のテラス席から畑を眺めると、どこか遠い外国を旅している気分になる。
 園生たちは、一房ごとにぶどうに雨よけの紙を丁寧にかけていく。足元には雑草がたくさん生えていて、歩くと小さな虫やバッタが飛び跳ねる。それを捕食しにトンボや小鳥も飛んで来る。伸びすぎた下草は刈るが、なるべく自然のままにしているそうだ。もし雑草を枯らすために除草剤を散布すれば虫たちも全滅し、逆にぶどうだけ食べる害虫がやって来る。その虫を退治するためにまた大量の農薬を撒かなければならない。しかし自然のままなら食物連鎖で適度なバランスが保たれるのだという。畑に生きるたくさんの虫や雑草にも、すべてに役割があるのだ。

 「カンカンカン!」と山の上から金属音が聞こえてきた。行ってみるとフライパンを叩いている人がいた。自閉症の青年が、朝から夕方までカラスが来ないように番をしている。日々の仕事をすることで、彼は入園時よりも生き生きしてきたという。人にもそれぞれ役割があり、何かの役に立てる喜びがある。
 収穫の時は、園生たちが傷んだぶどうを一粒一粒指でつまんで取り除く。効率化を重視するワイナリーでは決してできない手仕事だ。また、発酵させる酵母も、ほとんどの企業は人工培養の単一菌を使う。しかしここでは、ぶどうの皮にいる天然の酵母菌がワインを作ってくれる。農薬をほとんど使わないからこそ、この酵母が存在できるのだ。ただし雑多な微生物が混じり合う野生酵母は、状態がゆらぎやすくコントロールしにくい。しかしこのワイナリーの個性には欠かせないという。
「野生酵母と園生たちは似ているんですよ。」と創業者の孫の池上さんは言う。「様々な個性がまじりあった自然の酵母と、一人一人多様な園生たちはどこか共通してるんです。」
 出来上がったワインを飲ませてもらった。今や世界的にも認められているココ・ファームのワインは、近年の“ナチュラルワイン”の流行よりずっと昔から、このやり方で作られてきた。その清らかで優しい味わいは、畑の生き物や園生たちすべての存在への肯定から醸成されている。

 近代以降、私たちは合理化のために「ゆらぎ」を取り除いてきた。しかし改めてその力と役割に気づき始めている。「銘仙」のかすり糸の律動も、多様性から生まれるワインも、どちらも自然の「ゆらぎ」そのものだ。ひとつひとつ違う個が重なり合うからこそ、魅力的な模様が浮かび上がって来る。

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