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COLLECTION

2023 AUTUMN & WINTER COLLECTION SEASON CONCEPT

 旅をすると、今見えている風景の下地が透けるように、かつて生きた人々の息づかいを感じて、心震える瞬間がある。この道この場所で、同じ風景を見ていた人がいた。今はもうこの世にいなくても、その余韻が夕暮れの残照のように輝いている。

 島根県松江市。この町にもたくさんの層がある。スサノオの神話時代から、ここは古代の日本史に重要な役割を果たしてきた。出雲國いずものくにの支配者はヤマト王権に国を譲り、奈良時代になると律令制の国府も置かれた。江戸時代は松江藩となり、七代藩主の松平不昧ふまい(1751~1818)は茶の湯文化をこの地に根付かせた。いまでも和菓子屋さんが多く、日常的に抹茶で一服する人が多いのはそのなごりだ。
 そして現在の松江の文化に影響を及ぼしたのは、民藝と小泉八雲だろう。
 昭和6年、柳宗悦が講演し、この地に民藝の火を灯した。河井寛次郎や濱田庄司、バーナード・リーチも指導に訪れ、職人たちの手仕事を励ました。その当時の熱が、今日まで受け継がれている。
 その一つ、袖師窯そでしがまでオリジナルの陶製ボタンを作ってもらった。表面に「スリップウエア」の模様をお願いした。粘土を水で溶いた「化粧土」を流しがけ、引っ掻いて模様を描く。失われていた西欧の伝統技法だったが、リーチと濱田がイギリスで復興させて日本の職人に伝えたものだ。素朴な温もりがあり、ボタンにすると新鮮な美しさが際立った。

 仕事場には、柳の書いた言葉が掛けられている。

 「ドコトテ御手みて真中まなかナル」

 自然に逆らわず正直な仕事をするなら、どこであっても仏様の手のひらの真ん中にいるんだよ。そんな意味だろうか。美しいものは意図的に作れるものでなく、自然と生まれてくるものだから。

 ラフカディオ・ハーン(のちに帰化して日本名は小泉八雲)は、明治の終わりに松江に住み、人と風土をピュアな目線で見つめた。街を歩くと、いたるところに彼の足跡そくせきがある。『怪談』の著者として世界的に有名だが、本来はジャーナリスト、英語教師、随筆家、文学者でもあった。『古事記』に感激して日本に来たハーンにとって、松江は太古の神々が住まう憧れの都だった。彼は松江を深く愛し、松江の人々も彼を愛し続けている。人と土地との幸福な関係がそこにある。

 ハーンは当時の日本人の生活を生き生きと書き残している。松江大橋の上で朝日に向かって柏手かしわでを打ち、祈る人々。広大な宍道湖しんじこに沈む、宇宙的な夕日。小動物や植物、虫の唄を愛し、庶民の素朴な信仰と霊的な世界観に強く惹かれたハーンは、生粋の詩人だった。すべてのものからポエジー(詩の源泉)を受け取る開かれた感情について、彼はこう語っている。

「この感情とは一体なんだろう? それは私の存在よりも遥かに古いものだと感じる。一つの時間や場所を超えて、それはこの宇宙の太陽のもとで、生きとし生ける全てのものの喜びや痛みに共振する(vibrant)ことなのだ。」 (『知られぬ日本の面影』より)

「手のひら」を通じて、共振する世界への旅が続いている。

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