「布」というもの、それを縫い合わせた「衣」というものが、かつてどれほど価値があったのか?それは現代の私たちの想像をはるかに超えている。 大量生産の輸入品をわずかな金額で買える現在、私たちは服をたんなる「消費材」としか思っていない。しかしかつて庶民は一生のうちに数えるほどしか着物をもっていなかったし、 驚くべきことにあの秀吉や家康の贈答品ですら、白生地の反物だったのだ。
そんな大切な衣服を長く着続けるために、人々は布に糸を刺す工夫してきた。それを「刺し子」と呼ぶ。日本、そして世界中で刺し子は広く行われてきた。布を厚く丈夫にし、冷たい風を通さぬようにするために。
そんな刺し子の中で、なぜか津軽において独特の美しい模様が生まれた。現在の青森県弘前市近辺である。津軽の農家の作業着は「小衣(こぎぬ)」といった。丈の短い、藍染の麻の労働着だ。この小衣の肩や前後身頃にびっしりと刺し子したから、「こぎん刺し」と呼ぶ。
天明8年(1788)に津軽の風俗を写し集めた『奥民図彙(おうみんずい)』には、すでにあの「こぎん刺し」の模様が記録されている。とすればもっと昔から自然発生的に模様は生まれていたのだろう。
農家の娘たちは幼い頃から練習を始め、家族や結婚相手のためにこぎんを刺した。立派なこぎんは、晴れ着としても愛された。緻密な模様は、彼女たちが何世代にもわたって創意工夫を重ねてきた結果だ。それは名も知らぬ、小さき女性たちの生きた証そのものだった。
醜い「こぎん」はない。一枚とてない。捜しても無理である。品に多少の上下はあろう。模様に幾許かの甲乙はあろう。だが悪いものとてはない。なぜ醜い「こぎん」がないのか。別に秘密はない。法則に従順だからだと「こぎん」は答える。( 柳宗悦『こぎんの性質』)
法則とはたて糸とよこ糸の規則正しい秩序から生まれる。たて糸を奇数で拾っていき、その数を段ごとにずらしていけば、自然と模様が生まれる。こぎんの幾何学模様は、それゆえいつ誰が刺しても同じ美しさを保つ。
江戸時代から明治の中頃まで、「こぎん刺し」は盛んに作られたが、鉄道が開通して、おしゃれで温かい着物が運ばれてくると、急に衰退していった。柳宗悦が上記の文章を書いた昭和初期には、すでに刺す人はほとんどいなくなっていた。もともと市場に流通していた商品でなく、無償の愛が生み出した庶民の手技だったのだから。
しかし素晴らしい遺産はまだ残っている。それを受け継ぐ人が、今は少しだがいる。模様は、数的秩序に従えば変わらず美しい。布と針と糸、そして地道に作る手のひらがあれば今も「こぎん」は続く。それらは現代の津軽の女性たちの日々の時間から、いやもっとはるか昔の、愛すべき模様をこの世に残してくれた名も知らぬ女性たちの人生から生まれている。小さきものの衣が、現代の私達にも惜しみなく分かち与えられる。
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