旅をすると、今見えている風景の下地が透けるように、かつて生きた人々の息づかいを感じて、心震える瞬間がある。この道この場所で、同じ風景を見ていた人がいた。今はもうこの世にいなくても、その余韻が夕暮れの残照のように輝いている。
島根県松江市。この町にもたくさんの層がある。スサノオの神話時代から、ここは古代の日本史に重要な役割を果たしてきた。出雲國の支配者はヤマト王権に国を譲り、奈良時代になると律令制の国府も置かれた。江戸時代は松江藩となり、七代藩主の松平不昧(1751~1818)は茶の湯文化をこの地に根付かせた。いまでも和菓子屋さんが多く、日常的に抹茶で一服する人が多いのはそのなごりだ。
そして現在の松江の文化に影響を及ぼしたのは、民藝と小泉八雲だろう。
昭和6年、柳宗悦が講演し、この地に民藝の火を灯した。河井寛次郎や濱田庄司、バーナード・リーチも指導に訪れ、職人たちの手仕事を励ました。その当時の熱が、今日まで受け継がれている。
その一つ、袖師窯でオリジナルの陶製ボタンを作ってもらった。表面に「スリップウエア」の模様をお願いした。粘土を水で溶いた「化粧土」を流しがけ、引っ掻いて模様を描く。失われていた西欧の伝統技法だったが、リーチと濱田がイギリスで復興させて日本の職人に伝えたものだ。素朴な温もりがあり、ボタンにすると新鮮な美しさが際立った。
仕事場には、柳の書いた言葉が掛けられている。
「ドコトテ御手ノ真中ナル」
自然に逆らわず正直な仕事をするなら、どこであっても仏様の手のひらの真ん中にいるんだよ。そんな意味だろうか。美しいものは意図的に作れるものでなく、自然と生まれてくるものだから。
ラフカディオ・ハーン(のちに帰化して日本名は小泉八雲)は、明治の終わりに松江に住み、人と風土をピュアな目線で見つめた。街を歩くと、いたるところに彼の足跡がある。『怪談』の著者として世界的に有名だが、本来はジャーナリスト、英語教師、随筆家、文学者でもあった。『古事記』に感激して日本に来たハーンにとって、松江は太古の神々が住まう憧れの都だった。彼は松江を深く愛し、松江の人々も彼を愛し続けている。人と土地との幸福な関係がそこにある。
ハーンは当時の日本人の生活を生き生きと書き残している。松江大橋の上で朝日に向かって柏手を打ち、祈る人々。広大な宍道湖に沈む、宇宙的な夕日。小動物や植物、虫の唄を愛し、庶民の素朴な信仰と霊的な世界観に強く惹かれたハーンは、生粋の詩人だった。すべてのものからポエジー(詩の源泉)を受け取る開かれた感情について、彼はこう語っている。
「この感情とは一体なんだろう? それは私の存在よりも遥かに古いものだと感じる。一つの時間や場所を超えて、それはこの宇宙の太陽のもとで、生きとし生ける全てのものの喜びや痛みに共振する(vibrant)ことなのだ。」 (『知られぬ日本の面影』より)
「手のひら」を通じて、共振する世界への旅が続いている。
職種:店舗販売 / 営業 / 生産管理 / パタンナー / デザイナー
正社員登用、給与は経験により相談。月20万円以上。
年齢性別不問。
厚生年金、健康保険、雇用保険等完備。交通費支給、賞与。
ご希望の方は、メールにて履歴書と職務経歴書をお送り下さい。
通過者のみ面接の返信をいたします。なお募集の職種は時期によって異なる場合があるのでお問い合わせください。
*学生のインターンは随時可能ですので、希望者は面接いたします。
送信先メールアドレス:matohu@lewsten.com
◇ matohuの理念
「日本の美意識が通底する新しい服の創造」をコンセプトに文化や歴史を大切にしながら、現代人の心に響く魅力ある「デザイン」を生み出すこと。それを深い「言葉」で表現し、共感者の輪を拡げて行く「場」を作って行くこと。
この3つを通して、多様で心豊かな世界をともに作り上げることがmatohuのプロジェクトであり、理念です。
◇ 仕事のやりがいと人間的成長
まかされた仕事を自分の創意で工夫していける環境です。1Fはショップ、2Fはアトリエになっており、デザイナーと直接話しながらアイデアを実現していけます。また文化、歴史など幅広い知識を学ぶ機会も多く大人の教養と礼儀が身につき、人間的にも成長できます。
人の心に彩りを添えるデザインを生活のなかに!を合い言葉にこれから世界に向けて発信するmatohuのスタッフを募集します。